ひねもすのたりのたり。

好きなものとか、日々思うこととかを記録しています。

過去日記サルベージ④

  ネタがなくてもとりあえず書ける、過去日記サルベージ。
今回はそこまで暗くないやつを選んでみました。でも、これ書いている時は普通に疲弊しています。大体日記をつける時って、メンタルが不調な時が多いから……。
 
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2011/07/26(火)
 仕事をして初めて曜日の感覚を得ます。(予定はないけど)産休とかに入ったらホントに全く分かんなくなるだろうなぁ。そういや7月も下旬だけどTちゃん(※元同期)とこは産まれたのかしら。友人が子供を産むって不思議。というか、誰かが子供を作ったり生んだりすること自体がまるで別世界のことのように現実味がないなぁ。不思議なことだ。実際自分が生むまでないのかな。絶対要らない!って訳じゃないし、人生観変わりそうだからいてもいいと思うのだけど、ものすごくファンタジーに感じる。皆そうなのかな。人それぞれかな……。
 それはそうと、山本文緒の「再婚生活」を読了です。言ってしまえば単なるうつ病患者の日記なのに、作家が人に読ませることを意識して書くと、こんなにも読み物として成立するものになるのか、と驚いちゃった。流石直木賞作家だなぁ…。
 山本さんの本は、読みやすいし共感できて、読後感もそう悪くないので昔から好きで、「眠れるラプンツェル」とか「きっと君は泣く」とか「絶対泣かない」とか読んできたけど、作家その人にも興味が湧いてきちゃったな。実際付き合ったら、とても難しいひとだったりするのかもしれないけど。
 話を戻すけどその「再婚生活」の中に、かなり共感出来たり、考えさせられたりする箇所もありました。思わずドッグイヤー付けちゃったりしちゃった。
 例えば、「幸せ」っていうのは金銭でも、愛でも、環境でも何でもなく、ただひたすら主観的なものなんだな、と思わされる箇所とか。
 直木賞作家になって、お金も持って、優しい旦那様と再婚して山手線圏内に住んでたって苦しいものは苦しい。そう考えると逆も然りで、お金がなくたって友人が少なくたって、家がボロボロだったりしても、本人がそれを苦と思わなければ不幸ではないのだ……。
 あとは自分にとって何が幸せかを見極めるだけなんだけどね。それが人生懸けることになるくらい難しい。この前、妹に「そんな事言ったら、私だって仕事のストレスは山積みだし、働いても給料は安いし、休みだって少ないし、お姉ちゃんより私の方が何のために生きてるか分かんないよ!」と電話口で泣かれ、そんな風に思ってたと露ほども思ってなかったので、とてもあたふたしてしまいました。なんだか悲しい。彼女には常に幸せであってほしいのに。最近は、これが家族ってやつか……と思います。幸せであってほしいという気持ちの中に、自分の生活を侵害して欲しくないという気持ちも含まれてるけど、それでも心底幸せを願えるのはやっぱり家族なんだろうな。
 そして今度会ったら妹にも話そうと思うけど、日常のイベントをどれだけ楽しめるかが人生の満足度を左右するよね、きっと。例えば今日作ってみたラタトゥイユが凄くという程ではないけど美味しい。本が面白かった。そういうことを幸せに思っていきたい。そして極力心を休ませよう。現代人は心の力を使いすぎだよ、きっと。もっとイージーに、ハッピーに生きていこう。しんどかったら、金曜会社に戻らないでY社(当時の得意先)からそのまんま直帰しちゃって、江古田で髪を切ったっていい。お金なんて大した問題じゃない。
 ネイルサロンだって行ってもいいし、OPIのネイルだって欲しければ買えばいい。もっと自分を甘やかしてあげよう。精神が壊れたら、もっともーっとお金かかるし、ね!
 
 と、書きながら気付きましたが、結構精神的に疲労している……。今の私にはホントに休養が必要っぽいわ……。22:30には寝ちゃおう…。筋トレと入浴はしよう、健康のために。明日は6:00くらいまで寝てもいいや、ラタトゥイユがあるし……。
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 はーーーー。メンタル落ちてる時に読むと、自分の同じところでぐるぐる回ってる感じに眩暈がするな……。お前がイージーかつハッピーに生きてこれたことなんてあったかよ、そしてその後もないんだわ!って、思わず突込みたくなりました。こういう感情を何度も何度も乗り越えて、それでも生きてきたことだけは称賛に値するけども。
 冒頭でも書いたけど、基本的に日記を書いてる時なんてろくなメンタルの状態じゃないので、どうしても「幸せとは……」「何のために生きるのか……」とか考えがち星人です。持ちネタだと思って欲しい。このネタ一本で食ってる芸人みたいなところあるのでこの子と私……。
 妹の発言はちょっとびっくりするな。最近は妹とはあんまり話をしないので、こんなこと言い合ってたことがあったんだな、と懐かしく思ってしまった。今や私も彼女も、人に「何のために生きてるのか分からない」なんて話をしない程度には大人になったんだろうな。それを思うと、ちょっとだけ寂しさがある。
 昔の日記を読むと、友人や同期、妹にこういうぐるぐるした気持ちを話してた節が見受けられるので、今となっては感慨深いよね。勿論人は選んでただろうけど、それでもこういう気持ちを人と共有したいと思ってたんだな、この頃は。そう考えると、やっぱりこの頃の私と今の私の差を結構感じる。
 
 今の私は、私のしんどさを人と共有することなんてできないし、人のしんどさを真の意味で共有することもまた無理だろう、と実感しているので、そんな詮無いことを人と話したいとは思わないもんな。これを成長というのか変化というのか、はたまた老化というのかはよく分からないけど。同じところでぐるぐる回ってるように見えて、少しずつ見える景色は違っているのかもしれない。そうして少しずつ変わって、いつか人生が終わるのか……。意味なんて考えるだけ馬鹿らしいということなのかもしれないですねぇ。