こうして日々を記録するようになると、毎日毎日同じような日を繰り返してるんだな……と、嫌でも痛感するよね……。3日連続十六茶Plus(ストレスを和らげ、睡眠の質を高めるやすらぎBlend)を飲んで、それに付いてるニョロニョロの抱き枕に毎日応募して毎日外れています。最近寝つきいいの、もしかしたらこのお茶のお陰かもしれない。ノンカフェインだし、引き続き飲み続けよう…。その間にいつか当たらないかな、ニョロニョロ抱き枕。欲しいです。ニョロニョロ抱き枕。
いやまぁ、こうして同じような日々を多少変化しながら積み重ねていくことが生きるということなのかもしれないけれども。でも時々、「これを……死ぬまで…?」と絶望に襲われませんか。私は時々ゾッとします。その恐怖を紛らわすために、いざとなったら蒸発できると言い聞かせたり、アパートの外階段(5階)から下を眺めて、「この手すりを乗り越えたら、なにもかも終わるんだ」とふと考えたりしてるんだろうと思う。こういうこと考えてる人、少なくないと思うけど、でも多くもないんだろうなぁ。こういう感傷はとても凡庸だと思う反面、もしこんなことを考える人間ばかりだったら、人類は多分ここまで繁栄していなかっただろうから…。
こういうことを零すと妹みたいな基本がネアカで私と本件に関して重なる部分ゼロ!みたいな人間(おそらく多数派)からは、「毎日がそんなしんどいんだったらもっと色々チャレンジしてみればいいじゃん」とか「楽しいことを増やせば??」とか物凄く筋違いの正論をもらうんだろうけど、人生に関しては別に今でも楽しいと思ってるんだよなぁ。生活には音楽もあるし、好きなことや好きなものはいっぱいあるし、近い将来には自分で立てた楽しみな予定もある。美味しいものを食べるのも、ぐっすり眠るのも最高なのよ。でもそうじゃない、そうじゃないんだよなぁ……。これの言語化は難しい。
生きる力が根本的に弱いのかな、と思う。昔、私とはちょっと方向性が違う、でも根暗な元同期に「モヨとか私とか真面目な人間はさ、『生きる意味』なんてものを真剣に考えてしまうけど、そんなの、ごはんが美味しいとか、ぐっすり眠れたとか、そういうことでいいんじゃないかな」と言われたことがあるんだよね。その時は何となく、そうなのかな、と思ったけど、最近は私の厭世は多分生きる意味をそういう根源的なところでしか感じられてないからなんじゃないかな、って思ったりするようになった。彼女は今二児の母になって、きっと生きる意味とかそれどころではないと思うんだけど、私はずっと「それどころ」で留まっているんだよなぁ。それって今の時代だから許される贅沢のような気もするし、今の時代が生んだ病理の一種であるような気もする。
先日、ウォーキングデッドの話を友人としながら(その友人は見ていますが、私はシーズン2の始めでリタイアしました…何が悲しくてあんなつらいものを観ないといけないんだ……しかもキャラが立ってて魅力的だし…推したら最後、地獄やん……)、その子に素朴に質問したんだけどさ。「何でラスアスとかウォーキングデッドとか、荒廃した世界でも人間は子供とか作るんだろうね?だって生まれてきても辛いし、そもそも妊娠自体が生き延びることへのリスクじゃん?」と。で、まぁその子も「何でやろうねえ」と、同じく疑問を呈するだけで終わったんだけど、でも本当にああいう世界がきても、人間は子供を作ると思うんだよ。うまく説明できないけど、確信を持って言える。でもその気持ちが、本当に、本当に分からない。
……とかってことを考えると、その辺が「生物としての強さ」の差なのではないかな……とか思ったりしました。遺伝子の目的は子孫を残すことであって。子作りに対して「いや~この社会で自分の子供持つとか……どの側面から考えてもナイでしょ……」と、特に荒廃しきってる訳でもない現代で思うレベルの私は、遺伝子の乗り物として見たら0点なんじゃないかと思うんだよね……。今後訪れるサバイバル時代に子孫を残す価値なし。そこへいくと、あれだけ荒廃した世界でも人を愛し、子を設ける人達は本当に強いよ……。虚構なのはわかってますが、でも実際世界に暗雲が満ちても、子孫を残すために努力し続ける人はたくさんいるだろうし、それが生物としてあるべき姿なんじゃないかな、と思います。
いやまぁ、だから何だって思うんだけど、生きる力が足りてないなぁ……と思った話でした。それなのに何とか完全には絶望せず自暴自棄にもならず、人生折り返し地点(と思われる辺り)まで生きてこれたこと、それはそれでまぁまぁ凄いことな気がしてきたぞ。そう思ったところで別に生きるのは楽にはならないけど、自分が頑張ってるということだけは折に触れて振り返っていきたいな。私は、頑張って生きている……。