ひねもすのたりのたり。

好きなものとか、日々思うこととかを記録しています。

感情の鮮度

※2週間前くらいに書き始めたので、情報古いけどあげちゃう。本当に鮮度よ……。 

 

 気が付いたら1ヶ月とか(以下略)。それはまぁ言い過ぎとしても土日が一瞬にして終わってしまってびっくりしています……。最近色々感情が動くことがあったので、この土日はブログ書きたいと思ってたのに。何をしていたかというと、ほぼひたすら寝ていました……。いやこれあながち誇張でもなくてですね。特に土曜日はほぼずーっと寝ていました。合間合間に食事行ったり歯医者行ったりはしたんだけど、普通に16時間くらい寝たんじゃないかなぁ。残り8時間くらいしかない中で色々生活に必要なことしなきゃいけないから、本当に時間が足りなかった……冬眠前のクマみたいだ。この土曜は流石に寝過ぎだけど、最近は毎週土日どっちか泥のように眠ってしまうんだよね……。眠らないと日々のストレスやら、体力やらが回復しないというか。もうこの時点で結構ヤバいというか、自分で自分が可哀想なのですが……。

 そして色々書きたいと思ったことも、時間が経つと鮮度が落ちていくんだよね。例えば、昨日山本ゆりさんのレシピのカレーをリピートしたこと。平日シチューを作れるように、野菜を切っておいて保存したこと。それも保存しながら「なんていい気分なんだ、これも日記に書こう!」と思ったのに、今となっては「何故そんなことを……?」と自分で疑問です。例えが悪かったかもしれないけど、感情って、段々鮮度が落ちていくなぁ…と。「死ぬほど嬉しかった」ことは思い出せるけど、思い出した時に同じように死ぬほど嬉しくはなれないんだよね。誰かの歌に、この気持ちを真空パックしておけないものかなぁ、というのがあったけど、確かに感情は保存していると段々鮮度が落ちていってしまうのだ……。とはいえ、もし思い出す度に同じように死ぬほど嬉しくなれるとしたら、悲しみや怒りも同じということで、それだととてもじゃないけど生きていけないので、人間の大切な機能なんだと思いますが。(あ、でも少し横道に逸れるけど、私、怒りは本当に長期保存可能品なんだよなぁ……結構長期で鮮度保ってるし、思い出した時に毎度新鮮に怒れる……怒りなんてもうニラ並みに足が速くてよいのによう……)

 前置きが長くなってしまいましたが、最近とても嬉しかったこと。以前書いたかどうか忘れたけど、友人が実家に戻ってリフォームして「老後は一緒に住もう」って言ってくれたんだよね。実際本当になるかどうかは置いておいて、これは私にとってかなり嬉しいことだったのです。私本当に、「老後」のビジョンが全然なくって。長生きはリスクだし、70まで生きたら自分で人生の幕引きするしかないかな~、って真剣に考えてて。長生きしてやりたいこととか、目的とか全然ないからさ。どうやって人生の幕引きするかとか、真面目に考えなくちゃなぁ…と思っていたのだけど、その話を聞いて「本当にそんな生活で第二の人生があるなら、天寿を全うしてもいいかもしれない!」って思ったんだよね。そう思えただけでもすごく私にとってはいいことだったんだけど、先日更にさ、その友人から「二人で暮らしたとしても多分自分の方が先に逝くから、残されたMさん(わたし)が大変だろうし、財産をMさんに残そうと思ってる」って言われたんですよ。これが……じわじわ嬉しくって……。いや勿論、先立たないで欲しいんですが、そういうことじゃなくって、何ていうか……それって、もう「愛」では!?っていうか……。本当にそんなことしてほしい訳ではないけど、そういう風に私のことを思ってくれたってことが、嬉しくってさ~…。人生捨てたもんじゃないよな、とか思ったりしましたね。なんていうか、人間関係って、恋愛とか家族愛だけじゃないんだよな……と改めて思えたというか。私の人生、恋愛や家族愛ではないものに支えられてここまでやってこれたからさ……。

 あ、でも別にそれでもその子がこれから運命の出会いを果たしたり、親の希望を叶えてあげたくって、とかで結婚しても全然いいんです。「いま」そう言ってくれたことが、「いま」嬉しい、そういう話なので。

 そういうのも含めて、最近の私はなんていうか、若い頃より素直になった気がする。昔は「なんで私ばっかり何も持ってないんだ」ってうっすら世の中を恨んでたけど、今思うとそうでもなくない??と思えるようになった。明日死んでもいい、という気持ちに変わりはないけど、本当にそうなったとして今までの人生、悪くなかったと笑える気がする。少なくとも友達には恵まれてるしね。人生を通して付き合える親友達と出会えるなんて、若い頃は思ってなかったなぁ。

 そんな親友達とも、結構「相手は私が想うほどには私のことを想ってない」ってモヤモヤした時代があったけど、それも今思うと若かったなぁ…。なんていうか、気持ちの形は人それぞれなんだよなぁ。この前、友人が一緒に買ったTシャツを「めちゃくちゃ大事だから、特別な時以外着ない」って言ってて、私はそれをヘビロテで使い倒してヨレヨレになってきたので流石に今年は捨てるかも、みたいな感じだったのでちょっとびっくりしちゃって。でもどっちもそのTシャツが大事だという気持ちには変わりなくて、なんていうか、行動で気持ちは計れないな……と思った次第です。私は割と、そういう風に好きなものは使い倒していずれ捨てる人間だけど、それが愛に見えない人間もいるだろうな、っていう。……伝わりづらいことを書いちゃったな。

 私の大好きな「きのう何食べた?」で、シロさんがケンジのことを佳代子さんに「そりゃあ、あいつの方が俺に惚れてるとは思いますよ。別れたあと泣き暮らすのもあいつの方です。でも情が深いということはそれだけ出会いもあるってことで、別れた後により早く相手を見つけるのもあいつの方だと思うんですよね」って言ってるシーンがありまして。(細かいところはうろ覚えです)なんていうか、なるほどねぇ、と思ったんだよね。(伝わってほしい)

 なので、何にしても「なんで私ばっかり相手のことを考えてるの/思ってるの」とかって不毛だなぁ、って最近は思えるようになったよ、という話でした。長い長い思春期が30代も後半になってやっと終わったってとこですかね……。そう考えると、乾いた笑いが出てしまいますが。こうやって考え方が変わっていくので、歳をとるのもそんなに悪いものじゃないかもですね。