ひねもすのたりのたり。

好きなものとか、日々思うこととかを記録しています。

自己肯定感と自信と自己愛

 ちょっと最近ブログ書きすぎで、こんなに張り切って書いてるとすぐ息切れしそうだから、休みの日とかにのんびりサクサク書くリズムをつけていきたいところ。(と、いうのもこれを書き始めてる今日、ブログ5本目で流石にちょっと疲れてきているので……いや、こういうのは筆が乗ってる時に書くのが一番なのはわかってるんだけど、それで寝不足になったりしたら本末転倒の極だからね……)
 
 さて本日のテーマは私の人生において結構大きな位置を占めるものです。最近ちょっと前より解像度が上がってきてる気がするので、現時点で言葉にしておこうかな、と。このテーマについては結構何度も考えてるし、今後も何度も考えるだろうから、考え方が変わったら折に触れてまた書いていきたいなぁ、と思っています。
 大分前だけど友人とLINEをしていて「私は私のこと、全然好きじゃないんだわ」って言ったときに「その方がしっくりくる」と言われて軽い衝撃を受けたことがあるんだよね。元々私は自分のことが好きだと言い続けてたんだけど、私の生き方は全然そうは見えなかったみたいで。
 「そうかー…私は私のこと、好きじゃなかったんだな……むしろ嫌いだったのか……だからよく自分のことが許せなくて死にたくなるんだな…」と一時は納得しかけたんだけど、なんかそれもしっくりこないな??と。確かに、人前で恥をかくのは怖いし、他人の目に映る自分のすべてが許せなくて人と話すと家に帰って自己嫌悪で泣きたくなることもしばしば。けど、それとは別に私は私の考え方が好きだし、結婚したり他人と暮らすのは無理だと思いながらも、自分が二人になって二人で面白おかしく暮らしていけたら最高なんだけどな~と妄想するくらいなので、自分のことが好きじゃないってのはどうも不正確な気がしたんだよね。
 そうやって考えた時に、どうも「自己肯定感」と「自信」と「自己愛」は似て非なるものなんじゃないか……??とふと思い浮かんできて、その3つを分けると、なんかとてもしっくりきたのです。
 
 本当の定義は置いておいて、私の中でのこの3つの区分けを説明すると「自己肯定感」というのは、よく巷でいわれるように「自分が自分のままでいいと自然に肯定できるありよう」のことだと思っています。〇×だから自分は素晴らしい、とか〇×なので私には価値がある、ではなく、自然に自分には自分という価値があるんだと信じられる感覚。先日アメリカの子供に”Why are you special?”って聞くと”Because I am ME!”って答えるよね、って話をTwitterで見かけて「ひええ~~強い~~~」となったんだけど、そんな感じかな。むしろ、自分のことが特別だとか、特別じゃないとか考えたことがない、みたいな。
 これは本当に高い人が羨ましい。生きていくのにすごく有利なスキルの一つです。私はこれが圧倒的に足りていない……。自分のことをありのまま肯定できない……。ちなみに自己肯定感の強い人=自信家というわけでもなくて、客観的に見て自分がこれは苦手だな、とかこれは得意だなとか、得手不得手を把握していても、それと自分の存在価値とがリンクしないんだよね……。こういう人は本当に強いよ…。友人にも「こいつ……自己肯定感の塊やな……」と思う人はいるけど、ただひたすら羨ましいもんね。
 
 で、それとは似て非なるものに「自信」があります。自己肯定感が「何が出来ても出来なくても、別に私の存在価値に影響を与えない」だとすると、自信はまさに「〇×だから、〇×ができるから、私には!価値がある!」という感覚です。私はこの自信の感覚が強めの、自信家型の人間が結構苦手です。
 自己肯定感型と違って、値踏みされている感じがする。その人の中で結構明確な価値基準があって、自分はそれが優れている!という揺るぎない確信があるから、強いは強いんだけど、話すとその強さというか価値観の揺るぎなさに辟易してしまう傾向にあります。自己肯定感と違って、自信は明確に他者と比較した上で自分に価値を見出すものだから…。
 私の観測上、女性より男性に多いタイプ。(女性にももちろんいるけど)仕事に直結する能力に自信がある場合が多いので、自己肯定感は高くないけど、自信満点なタイプは仕事が出来なくなるとかなり弱いんじゃないかな、と勝手に想像していたり。例えば体調を崩して、満足に働けなくなったりしたときとか。
 
 お気づきだと思いますが、私はこの自己肯定感と自信が生きていく上で絶望的に足りてない。一番足りてないのは自己肯定感ではあるんだけど、自信も全然ない。でも「自己愛」はあるんだな~。
 「自己愛」は読んで字のごとく自分への愛のことで、他人の目とかそういうものを意識に入れなかった時に自分のことは普通に好き!みたいな感覚です。これだけあってもどうよ?と思うけど、マジでこれもなかったら人生がハードモードどころか、インフェルノかナイトメアくらいにはなってたと思うので、これだけでもあって良かった……。
 おそらくだけどこれが足りないと、愛を外に求めてたと思うんだよね……。そう、他人に愛されたくてしょうがないモンスターが誕生していた危険性ですよ……。とは言え、思春期~20代前半くらいまでは、愛されたい願望が強かったと思うので、その頃に比べて自分への愛が育ってきたんだな……と理解していたり。だとしたら偉い……よく頑張ったねわたし……。
 
 本当に欲しいのは自己肯定感で、自分のことを何ができなくても(他の誰もと同じように、自分にとっても他人にとっても)価値がある、と思えたらものすごく生きやすくなるんだろうと想像しています。今は自分に価値があるとは思えないけど、不完全で駄目だし、他人と比べても優れているとは思えないけど、それでも私は自分という存在が好きだし、愛しいなぁと思う……っていう状態なので、一人でいる間はどうということもないけど、社会に出た瞬間に焦燥感にジリジリと焦がれることになってしまうんだよね……。
 
 改めてこうして整理して考えてみると、昔持ってなかった自己愛を少しずつ獲得できてきたってのが分かるし、そう考えると今のありのままの自分を許せて、自己肯定感が育っていくことも絶望的ではないのではなかろうか。そりゃ、一朝一夕では難しいだろうけど、例えば3年、5年したら、もっともっと生きやすくなるかもしれない。そう考えると、なんだか未来に希望が湧いてくる気がしますね。少なくとも、10年前より5年前の方が、5年前より今の方が、確実に「何でもない自分」を好きになれている気がするので、今後は更に自分を許せて、他人と比較しないで生きていけるようになりたいな。いや、なってくれると信じて生きることにしよう。