ひねもすのたりのたり。

好きなものとか、日々思うこととかを記録しています。

賭けましょう、ぜんぶ

 何でも継続は力なりである、の話を先日このブログに書いたのですが(鶏むねめっちゃ料理してたら明らか手際よくなってきた~、という話)このブログについても毎日何かしら書いていたら、書くのがどんどん苦にならなくなってきた。まぁ、電子版日記なんて始めるくらいだから元々文章書くのは好きなんだけど、これまではこういうことを始めても、なんか文章を書くのにひっかかりを感じるというか、脳内にあふれる言葉に似た様態のものが、上手に言葉にならなかったんだよね。「こういうことを書きたい」というのが、うまく言葉に翻訳できないというか。実際書いたものを見ると、なーんにも考えずに脳内の電気信号をそのままアウトプットしましたね!?みたいな文章なんだけど、それでも書き始めはなかなか言葉になってくれなくって、これはまた3記事くらい書いて放置かなぁ……と思ってたんです。実は。それがとりあえず10記事書けたし、コンスタントに上げられるようになってきたので、なんか……慣れたな、と。                 
 本当は、文章を書くのが上手くなれば良いなぁ、と思ってたのですがそれはなかなか。でもまぁ、このブログについては、「自分が後から日記として読んで色々思うところがあれば」というのと、「私がこの世からいなくなった後に、仲の良かった友人が『ああ、そういえばこんな奴だったな。生前、こんなことを考えてたんだな』と思ってくれたら」という、2つの目的くらいでしか書いてないので、そんな美しくなくても、今の私ができるだけ写し出されていれば良いのだ……。                 
            
 さーて、今日は自由へのあこがれについてです。タイトルは最近Apple Musicに加入したことによって見つけて聞いてるGamble Rambleより。この歌、めちゃくちゃ好きな感じの歌だった……2000年代ヒッツとかから見つけたので、同年代だったら知っているかも。私は聞いたことありました。                 
今日も通勤中にこのフレーズ聞きながら「私が賭けられるものなんて、全財産とこの命くらいだな……ほかに私の持っている大事なものがない」と思ったのですが、昔からずっとそういう「自分の全てを賭けるチャンス」に憧れてるし、そのチャンスを待っているんだな……なんて唐突に思ったのよね。通勤中はセンチメンタルになりがち。                 
 破滅願望なのかな……いや、ちょっと違うか。なんかそういう、大勝負をしてみたいんだよね。普段スーパー堅実に生きてるくせに。いやむしろ、だからこそ、なんだろうな。                 
 仕事はあるし暫定の家もあるけど、守るべき家庭がある訳でなく、自分が消えて困る人もそういない……という今の状況、実は結構好ましいと思っていて。いざとなったら、全ての繋がりが詰まっているスマホを捨てて、全財産握りしめてどこか知らない土地に行ったって別にいいんだ……ということに、時々とても救われます。本当にやろうと思ったら色々と大変なんだろうけど。
 以前、Twitterでも呟いたんだけど、会社で知り合った派遣の1個上のお姉さんが、来年アーユルヴェーダを勉強しにインドに渡るつもりだ、って言ってて。何だか感動したんだよね。すごく。年が近くて、結婚はしてらっしゃるけど子供がいなくて境遇が似てて。だとしたら、私だって同じように自由に生きる選択肢があるんじゃないのか、って思えてきまして。その人のことがとても眩しく見えると同時に、自分の未来も広がった気がした、というか。
 実際本当には多分死ぬまでやらないだろうけど、転職だってしないと思ってたのにしたから人生なんて何がどうなるか全然分かんないし。その選択肢があるのに、今ここにいる、ということだけでちょっと生きる気力が湧いてくると思いませんか。私は本当はどこへだって行けるし、どうとでも生きていけるけど、ありとあらゆる選択肢の中で、敢えてこのルートを選んでるんだ、っていう。そうやって考えると、この人生もそんなに捨てたものじゃない気がしてくるんだよね。親友や友人にも恵まれてるしさ。それでもって、もしこの後色々あって、本当に、本当にもうダメになったら、それこそぜーんぶ捨てて、LINEをアンインストールして鞄とスマホだけ持って旅に出ればいいんだもんな。そう考えると気楽なものだわ、人生なんて。